「正しい」表記?

校正の仕事をしていて、編集者の方に「これ、どっちの表記が正しいの?」と訊ねられることがときどきあります。しかし、こうした質問に対しては基本的に「どちらも間違いとは言えません」と答えざるを得ないことが多いものです。

例えば「後を継ぐ」か「跡を継ぐ」か。「後継者」という語があるように、「後を継ぐ」のほうが無難に思えますが、歌舞伎役者の名跡を継ぐというような場合は「跡を継ぐ」のほうが適しているでしょう。「出会う·出合う」などは、相手が人の場合は「出会う」、モノや動物の場合は「出合う」とするのが一般的ですが、これも絶対にこのように使い分けなければならないというものでもありません。愛するペットに対しては「出会う」あるいは「出逢う」と表記して、その人にとって単なる動物ではないという意味を持たせたくなるものです。

さらに悩ましいのはカタカナ語で、「エンタテインメント・エンタテイメント・エンターテインメント」「ファイナンシャル・フィナンシャル」「バイオリン・ヴァイオリン」などはどれでも構わないと思います し、そもそも外国語の発音を日本語で正確に書き表すことは不可能です。

誤字・脱字を正すことが、校正の仕事のかなりの部分を占めますが、このように「何が正しくて、何が間違っているか」というのは、簡単に分けられるものではありません。しかもどの表記を選ぶかは、そもそも書き手に委ねられるべきものです。夏目漱石は「サンマ」を「三馬」、「バケツ」を「馬穴」など、かなりの当て字を使っていたことで有名ですが、それも含めて漱石の作品ですし、それを現在一般的に使われている表記に変えてしまっては、その作品の本質を損なわせることになるかもしれません。

一方でやはり、この意味でこの語を使うと読者に書き手の意図が伝わらなかったり、別の意味に取られてしまうということもあり、なんでも書き手の自由に委ねてしまっていいというわけにはいきません。

そこで、校正者が頼りにするのが、各種辞典や用字用語集です。各新聞社では、それぞれ独自の表記法や記事のフォームをまとめた用字用語集を持っています。新聞というのは不特定多数、またいろいろな立場の人に日常的に読まれることを前提として発行されているので、誰が読んでも理解しやすい、誤解を与えづらい記事になるよう、細かくルールを決めているのです。私の手元には、共同通信社、時事通信社、朝日新聞社の用字用語集を置いてありますが、どれも700ページ強にわたるものになっています。これらは長年の間に培われてきた、言葉に対する知識の集積ですので、校正作業を行う際の基準として利用させてもらっています。

とはいえ……。また元に戻ってしまいますが、ここで決められたルールが絶対に正しいというわけではありませんし、ここで示された表記法に絶対に従わなければならないというものでもありません。書く人は、誰かに向けて、何かを伝えたいという思いがあるから書いているわけですし、それをどのような形で表現するかは、やはり書き手の自由が優先されるのかなあと思います。

でもやっぱりこの場合は一般的には・・・。

また繰り返しになってしまうのでやめておきますが、このように、辞書や用字用語集で示されている「日本語で文章を書く際の一般的なルール」と「書き手の表現の自由」の間で揺れ動きながら校正作業をしています。

どうしても悩んでしまうときには、「書き手の伝えたいことが、読者に伝わる文章になっているかどうか」に立ち返るように心がけています。

この表記・表現だと読者に誤解を与えるのでは、と思われるときには修正を促しますし、一般の表記ルールと異なっていても、なぜその表記にしたのか書き手の意図がきちんと読者に伝わるようであれば、そのままにしておくこともあります。

一般的に校正とは正しい文章に直していく仕事と思われるかもしれませんが、この仕事を続けていくにつれ、何かを書くことで表現するうえで大切なのは、「正しい文章かどうか」ではなく、「伝わる文章になっているかどうか」なのでは、と考えるようになってきています。

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